遠隔テクノロジー

遠隔テクノロジー技術を使った加害方法について コメントはすべて次のブログで受け付けている。https://ameblo.jp/push-gci/

遠隔テクノロジーの概要1-9

遠隔テクノロジーの概要1-9


≪被害妄想にとらわれた状態≫

被害妄想にとらわれた被害者の心理・精神状態とは、加害に対する個人的な見解・考え方・根拠などについて議論を深めることはしない。その心理が働くために被害者間での意見交流・議論は、被害を訴えたい内容をどのような行動で表すのかの一点で被害者間の関係を作るだけとなる。

したがってまた、加害に対する個人的な見解・考え方・根拠などを議論しないようにすることは、「マナー」「通則」「しきたり」「しがらみ」のような暗黙の了解事項となる。

被害妄想にとらわれた被害者というのは、そういう意味で世間離れした風潮を持つような間柄になるしかない。つまり、世間の狭い、視野の狭い、目が節穴のものの見方・考え方しかない人種に見られる傾向がある。その先にあるのは、
社会の中で孤立することである。

私のように他の被害者の被害妄想を取り上げ、分析し、被害妄想の根拠となることを批判的に論証することは、被害妄想にとらわれた被害者には「冒涜」のように思われるのは当然の結果となる。

何よりも、被害妄想を取り込んだ場合は、その被害妄想が、加害相手とみなした相手に対する行動の根拠にも通じているため、相手に対する行動上の凌辱・屈辱・冒涜の実感にも直結していることである。すなわち、簡単に言えば、自分でその被害妄想を除去することは、自己否定に等しくなるのだ。


■被害妄想にとらわれる被害者の「深層」心理?

このことの一つの例証としてホットなものがあるので紹介しておく。

ターゲット被害者ネズキンと2020年5月に入ってからその被害者の記事のコメント上でやり取りを行った。

その中で得られたものが上記で示した内容である。すなわち、「悲痛な経験をした被害者にとって」差し障りのあるものを議論しないことを暗黙の了解のように思い込むところが、被害妄想にとらわれる人間精神の心理的な側面の共通性であることである。

こういうことは、ほかの被害者とコメントでもいいから議論することで得られる私の得である。
http://ssskkkooo.blog.fc2.com/blog-entry-270.html

ターゲット被害者ネズキンとのコメントのやり取りについて摘要を載せておく。

 

私「文中「陰謀論的な視点」をわかったうえで書き述べている点は、どうにかして自分に対する加害の立証をしたいのだろうと思うけど、世間はそれほど甘くないよ。」

 

ネズキン「私は自分に対する加害の立証をしたいために書いているのではありません・・・同じ披害者のために書いています・・・生体通信の仄めかしなどの事も遠隔通信でやっているという事も分かっています・・・上から目線は止めたほうがいい」

 

私「上から目線のことだけど、そう思われるのは承知の上だよ。要するに、被害妄想を取り込んだ状態だと言っているだけのこと」

 

ネズキン「私は披害者の人にこの犯罪の本質を理解してもらい少しでも参考にしてもらって、不安を解消してほしいと思っています。それを、あげつらうのは、他の披害者に対して冒涜です・・・他の披害者の人と険悪になっているのをよく見ますが、なぜ、そんなに攻撃的なのですか?本当の披害者だと仮定して見てみると、全く理解に苦しみます。なぜそんなに性格が捻くれてしまったのでしょう。本当の披害者だったなら、もっと他の披害者の人に敬意をもつべきですね。」



なお、冒涜とは、ウィキペディアの説明で十分だろう。すなわち、「崇高なものや神聖なもの、または大切なものを、貶める行為、または発言をいう。」

すなわち、私のブログ上での内容に対して
ほかの被害者に対する冒涜だと私に示してくれたターゲット被害者ネズキンは、被害者の「崇高なものや神聖なもの、または大切なもの」を
「貶める行為、または発言」をしたとその頭脳に反応が起こったと考えていい。

すなわち、私のブログがほかの被害者に対してその考えに「
嘲る(あざける)/見下す(みくだす)/見くびる(みくびる)/侮る(あなどる)/見下げる(みさげる)/卑しめる(いやしめる)/蔑む(さげすむ)/貶める(おとしめる) 」行為をしたとその頭脳に判断反応が起こったことを示す。

それゆえネズキンは、私に私のブログ記事を
「上から目線」だと言ってきたのは、正直な心からの断言だ。

価値観が異なる相手からの言葉がどんなものであれ、その価値観の違いをブログ記事に書いているのは確かである。それについて感情的な反応を示すのは、価値観の違いで感想を述べた程度に過ぎない。問題の根本はそれではない。

被害妄想は、被害者一人一人、何らかの「根拠」がある。実はその根拠、ぐらぐらしていて不安定なのだ。それに自分の被害経験にかかわる「心の奥底に溜め込んだストレス」に密接している部分でもある。しかもその根拠は、
「加害相手は誰だ」「加害した証拠は何だ」「なぜ加害するんだ」の被害の訴えにも直結している部分だ。

だから、ターゲットにされれば、
お門違いな相手を加害者と思い込んで行動を起こし、他人から「冒涜」を感じるような言葉を浴びせられることになるのである。ここまで言えば、察しのいい人なら、ターゲット被害者ネズキンが私のブログ記事を冒涜といったものとの関係にたどり着くはずだ。

ところが、たいていの被害者は
「自分を加害する相手などの根拠」については多くの被害者において明示することはない。

なぜだと思う?そのヒントは、ネズキンが私に「冒涜」だと書いたその意味からでも察するものがあるだろうことだ。

すなわち、「嘲る(あざける)/見下す(みくだす)/見くびる(みくびる)/侮る(あなどる)/見下げる(みさげる)/卑しめる(いやしめる)/蔑む(さげすむ)/貶める(おとしめる) 」に相当する精神ストレス状態に陥った経験が、加害によって起こったことである。しかも他人に対する=
加害相手だと思い込んだ相手に対する行動で精神ストレスとなりうる心の状態に陥った経験があることを示すのである。

加害組織がターゲットをどのようにして被害妄想を取り込むように誘導するのかは、簡単に言えば加害でそうするのである。だから、どのような加害をされたのか、それでどのような行動を第三者に対して行ったかを「ほかの被害者に対する冒涜」という言葉にネズキンは私に示したのである。

ターゲット被害者として加害された経験は、加害の証拠にたどり着くのである。

そして、加害の証拠から加害相手に対する行動の起因になるのである。

そして、
行動を起こして加害相手だと思い込んだ相手から「冒涜」を経験するのである。

警察を使って加害相手だと思い込んだ相手に逆に相手から警察も使われたように「冒涜」される経験で心の奥底に精神ストレスをため込むのである。

ミイラ取りがミイラになってしまったようなものだ。すなわち、
屈辱である。なぜだ?

証拠を提示したものはことごとく撃沈した。そこでまず普通の人なら、自分を加害相手だと思い込んだ相手にどんな言葉を浴びせるか?

「ふざけるな、アホ!」の類だ。


証拠は、ターゲット被害者からすると「お前がやったんだろう?!」は、「ほら、これが証拠だ!」を加害相手だと思い込んだ相手に浴びせれば、「嘲る(あざける)/見下す(みくだす)/見くびる(みくびる)/侮る(あなどる)/見下げる(みさげる)/卑しめる(いやしめる)/蔑む(さげすむ)/貶める(おとしめる) 」に相当する言葉を相手から浴びせられるような状態に陥ったことを示す。


証拠は撃沈した!


つまり、私の言い方を「ほかの被害者に対する冒涜」として私のブログ記事に見出したネズキンは、ネズキンが加害で経験した屈辱感をまた味わったことをコメントで示すことになったわけである。

屈辱感のもとになったのは、言うまでもない、加害相手だと思い込んだ相手に示した加害の証拠・根拠のことだ。

そのような経験をしたネズキンは、私のようなブログ記事を読むことで私のコメントを読むことで日頃経験している屈辱感を私にコメント返信したのである。

要するに、私の態度が、ネズキンが
加害相手と思った近隣や警察の態度と同じだと判断したことを示すのである。

ところが、ネズキンは、被害者
ならそんなことは絶対に言わないと妄信している。

「悲痛な被害経験をした被害者」としての差しさわりのあるものは、被害者間において議論の対象から外している風潮は、おそらく被害者団体でも同様だろう。だから、被害者間のマナーを暗に示しながら、さらに加害での屈辱感の経験を腹に溜め込みながら、私のブログ記事をほかの被害者に対する冒涜だと説いたのである。



結論。被害妄想にとらわれた被害者の心理には、心の底に
日常のすべてに潜勢的に作用する意識をため込んでいる

だから、決して触られたくない部分ができてしまう。それを無情に切り刻み、ズタボロまでに切断加工するのが私の遠隔テクノロジー説のブログ記事である。

いわば、被害妄想の「心臓」を抉り出し、突き刺しながら、「痛いのか?」と心に呟きながら被害妄想を攻撃するのが私のやり方である。

攻撃という言葉は、批判という言葉にすり替えても差し支えない。ただ、被害妄想にとらわれた被害者にとっては、その批判は、攻撃として映るだろうから攻撃という言葉をあちこちに使っているだけである。

とはいえ、私はほかの被害者を「救い出す」ような考え方は捨てた。

相手は加害組織。相当の技術を使って被害妄想を取り込むように誘導したものだ。簡単に被害妄想を自己排除はできないはずだ。

ならば攻撃として脳裏に映る表現方法をとるのが簡単だと結論したわけである。

ほかの被害者から見ればとても反感を持つような内容を書いてあるのは当然である。

「悲痛な被害経験をした核心部分」を取り上げるからである。

しかし心配ない!人間精神とは、逃げ道を見つけるものだ。それが「スルー」「無視」「論ぜず」「考えず」「その部分は頭をなくせ」なのだ。

自分の悲痛な被害経験を真正面から取り上げてブログ記事にできない被害者というのは、ブログ記事が、結論を下した後にやっとブログにその内容を書き込むだけで終わる。

なぜ被害初期の経験を記事にしないのか?人生最大の屈辱感を味わった経験だったからである。

加害相手だと妄想した相手に証拠を突きつけて警察まで巻き込んで相手を追い詰めてやろうとした被害者ほど、被害初期をブログ記事に書いたとしても、自分には都合いい部分しか書かないものである。しかも消えてなくなっても全くかまわないものなのだ。


被害者じゃない一般の人が、集団ストーカー被害とかテクノロジー被害とか言っているブログを読んだら、「なんだこれは?」で終わりだろう。被害者のブログ記事には、客観的な視点から被害を書き込んだものが極端に少ない。だから、
被害の訴えの一点張りしか見えないのだ。


■被害妄想を取り込んでしまうのはどの被害者でも避けられない!

遠隔テクノロジーを使う加害組織のターゲットにされると被害初期状態では「被害妄想」を取り込んでしまう。これは誰しもそうなる。※

※誰しも被害初期は被害妄想を取り込む。私だけはそうじゃないと思っている被害者がいるならそれはその人の無知でもある。なぜなら、加害相手は、人の心、心を脳神経レベルで理解している奴らだからだ。れっきとした科学技術を使う。そこを頓珍漢に理解しているのが大方の被害者でもある。

被害妄想にとらわれた状態とは、日常のすべての面で被害意識が潜勢的に作用することで日常のすべての面での被害以前の意識とは異なった意識に変わってしまうことである。

そのため、他人を見れば、加害者か?加担者か?分断工作者か?何か加害をするつもりか?などの意識を働かせることになる。

被害妄想にとらわれてしまうと自分を世間などから異質の人間のように思うところを被害者だと意識することに執着するようになる。そのため、他人に対する妬み、疑念、反感などの感情的な意識で自分が世間から見てかわいそうな人間だと妄想するようになる。

それゆえ、被害妄想にとらわれてしまうと、その人間は、妄想の上に妄想を意識するようになり、結果的に世間から孤立した感じを意識するようになる。

被害妄想にとらわれてしまうと、行動の面でも明らかな特徴が現れる。すなわち、加害者として疑った相手に何らかの行動を起こすようになる。

その点、私の被害初期での加害相手だと思った相手に対する行動は、亡霊のような相手だと思ったために特定の人間に対する行動は、起こらなかった。これが、大方の被害者に比べて異質の被害状況から始まったためのほかの被害者との違いである。しかし、亡霊が相手だという被害妄想は、数的に少ないものの、何人かはいる。しかし、やがて亡霊以外を加害組織が仄めかすようになってから、自衛隊を加害相手のように妄想するようになった。

被害妄想を取り込んでしまうと、その被害者は
自分の被害意識が被害妄想だとは意識しないのがふつうである。これが、加害組織の最大の技術面を表している点である。つまり、加害方法は、素人がやっているのではなく、相当の科学技術のある人間がやっていることを示す。

だが逆に、被害妄想を取り込んでいるのに被害妄想だと思わない被害者は、自己批判的に自分の判断などを考えたりしないし、考えたりする性分ではない点もあり、そうなるのは加害組織がターゲットの性分を熟知したうえで加害していることを表している。

だから、被害妄想だとは思わない被害者は、自分が加害相手や加害組織を判断した対象をその判断過程にさかのぼって、言い換えれば自分の考え抜いた道筋を追うようにして
批判的な検討を加えることはしない

自己の考えに無批判だからこそ、
自己の判断を貫くだけの一点張りになるしかないことになる。

被害妄想を取り込んでしまうことは、加害組織の意識誘導に乗っかってしまうことである。
加害組織はターゲットに加害しながら意識誘導する。だが、当の被害者には意識誘導を意識する余裕はない。

被害者に意識誘導を意識する余裕がないのは、加害に精神ストレスが生まれるためである。精神ストレスは、加害で生まれる。

精神ストレスが加害で生まれることは、同時に心からの感情が生まれることでもある。ここが最重要な点である。

加害されれば、感情が出る。これが、後々の加害組織による意識誘導に最大の駆動力をもたらすのである。すなわち、加害組織は、ターゲットを加害しながら精神ストレス状態にして、ターゲットを感情的な状態にする。ターゲットが感情的な状態で当然被害者は、何者の仕業か、何の目的なのか、を
自覚的に意識するようになる。

それゆえ、加害組織はターゲットを加害するときに感情的な状態にするのは、意識誘導、すなわち、マインドコントロールしやすい状態にできるからである。

ほぼすべての被害者で、被害初期に感じたストレスは、誰でもあったはずだ。


■被害妄想の取り込み以降の加害の変化

やがて加害が沈静化する。

すると、あら不思議、被害妄想を取り込んだ状態になったのであるが、ターゲットにされた被害者は、そのことを意識することはない。

被害者は、誰が何のためにやっているのか、おおよそでも確信でも同じことだが、理解した状態になるのと同時に、心の底には、つらい被害状態でのストレスが、記憶として、さらに日常のすべての面に作用する潜勢的な意識形態として沈殿したことを示す。

被害妄想を取り込む過程は、加害に対してストレス状態になりながら加害の目的や相手などを理解する過程でもある。その被害者が理解する過程は、その人の自覚意識に基づく思考であり、理性でもある。それゆえ、
被害者が加害されながら理解したものは、強固なのである

加害組織は、ターゲットに加害しながら加害について理解させる方法をとる。これが洗脳という意味合いとは異なるところである。

自分自身で理解したものだから、より強固である。それゆえ、被害妄想を取り込んでしまった後は、被害妄想は自己批判的な検討を加えない限り、ゆるぎない意識形態となる。

自己批判を自分有利に考えることは可能である。それはおおよそ批判ではなく、ケチをつける程度の反感しか意識しないだけである。

例えば、「加害の証拠」がそれだ。加害の証拠はそれ自体加害相手の証拠でもある。

ところが、加害の証拠も加害相手の証拠も物的なものではなく、加害されながら理解したものに他ならない。だから問題はそこなのである。

物的な証拠を探すために行動を起こすことは加害組織も知っているし、そうさせるように誘導もする。

例えば近隣に加害者がいるような物的な証拠は、誰かの家の近くに近寄れば、何らかの加害を感覚として感じる場合である。それを物的な証拠と思うのは、まさに子宮でものを考える頭脳の証でもある。

例えば私が通称カカシと呼ぶ被害者のブログを読めば次のように書いてある。

https://ameblo.jp/kakacichiyan/entry-12508966064.html

「先ず、近所の怪しい家の断定の仕方。方向性で痛み等が緩和された時に前にいた場所からの攻撃と断言できます。強弱は有りますが指向性によるマイクロ波の照射です。これはチップ等使っていません。」

断言した根拠は、カカシの感じた感覚に過ぎないことに注意せよ。だが、物的な証拠で言えば、その家の近くという条件を付けているのがわかるだろう。それが自分の感覚の物的な証拠とみなしうる思考過程を表している。

つまり、断言する以外に物的な証拠となる自分が感覚を感じ取った場所について、自分の感覚と相関関係を断言したことでもある。だから、結果的には、やくざが難癖つけるようにでっち上げをするのとまったく同じことでしかないのである。

カカシが感じ取った感覚は、加害組織がそこで感じ取るように遠隔から神経レベルで刺激とコントロールを加えたことであって、そこで感じさせたのは、カカシに近隣の一般住民の中に加害者がいると妄想させるためでもあったのだ。

カカシのような頭脳の考え方は私が子宮でものを考える頭脳と呼ぶものにふさわしい。

その後その家に何かしたのかどうかは知らないが、自分の感覚を真実とするところまではいいんだが、その後の推考過程は、自分の感覚を真実とすることとその場所を真実とすることとを普通の物理現象のように考えたために、妄想を取り込んだのである。

加害を自分の感覚から普通に考えられる物理現象として考えるだけでカカシのように簡単に妄想を取り込むことになるのであり、そのような推考過程を全く無批判にするのは、子宮でものを考える頭脳だと説いてきたのである。

加害組織の技術をマイクロ波聴覚効果で考えれば、当然、電磁波の性質を普通に考えれば、目には見えないが、体で感じ取る時の場所だけで体で感じ取る感覚とその場所を因果関係のように結びつけてしまうものである。

そのように考える人間は、普通である。だから、普通の人は普通に考えれば普通に考えたように理解するから、加害組織も
その習性のような性分を最大限利用するまである。

そういうわけで、カカシのような被害者もマイクロ波聴覚効果説の妄想は正しいものと断言しなければならないのである。

つまり、マイクロ波聴覚効果説は、技術的にターゲットにされた被害者の妄想に入れ知恵するような技術論といえるのである。れっきとした体裁を持つから、被害者はそれにすがることができ、自分の被害の訴えが正しいことを理解するのである。

加害組織は、現実にネットで転がっている情報をターゲットが吸収することも考慮したうえで加害による被害妄想の取り込みを誘導できるのである。


■被害妄想の取り込みで必要なターゲット被害者の人間性

この項目での重要な点は、ターゲットにされれば、加害されながら加害について理解するような意識を働かせることである。それは人間の基本的な性でもある。

もう一つは、
ゲッチンゲン実験のように、人の記憶は、脳が興奮した状態では、作り話でっち上げをしやすい心理状態になることである。

 

ゲッチンゲン実験については以下を参照せよ。

https://ameblo.jp/push-gci/entry-12364055908.html

 

 

 

脳の興奮は、加害されることで感情がわき出ることである。そして、加害に対する理解を進める。そして、理解する。加害組織はその意識過程をすべてモニターしている。だから、心からそう思う脳の状態を識別できる。

もっとも、カカシ程度の加害レベルでは、加害組織が脳の意識状態での理解の程度までわかるとは考えないだろうが、本当に創価学会の組織犯罪だと妄想するのを加害組織がカカシの頭脳をモニターして本当に理解していることを確認しているのは間違いないだろう。

ターゲットの加害に対する理解が不安定な状態でも、それを感知しているのは間違いない。つまり、取り込ませようとした妄想意識を取り込んでいるようで中途半端な状態ならば、さらなる加害を続ける。だから、被害初期といえる期間は長くなるはずである。

もっとも、私の場合、被害初期はキレのいいところで区切っているが。最大4月いっぱいまでに区切っている。ただ、その後、どのような区切りの変化があったのかメモを取っていないため、ブログ上では、神経コントロール説を出したころを一つの区切りにしている。私の遠隔テクノロジー説は、1日で出来上がったわけではない。段階的に変化した過程がある。


面白く読んだだろうか?面白いとは、よくわかる、ということだ。こんな一文でも加害組織からは酷評がよく聞かされる元になる。「ほかの被害者なら・・・」「お前の論文調の書き方は・・・」なんてよく言ってくるものだ。文字を入力している最中は、加害組織の声聞聞こえないことが多い。何か精神集中しているときはしゃべっていても聞こえないのか、邪魔しないのかわからないが、とにかく黙っていることが多い。しかし、途中ちょっと間があれば何か言ってくることは多いのだ。


ターゲットにされたらよろしく!

=========================
ケベックのハンドルネームで以下のブログをやっている。
コメントは、あちこちで対応するのが面倒になって、https://ameblo.jp/push-gci/のブログだけで対応することにした。メインブログ以外ではコメントは受け取れない設定にした。2019年10月10日。
メインブログ
ameba      https://ameblo.jp/push-gci/
コピーブログ
fc2          http://keyhole276p3mhz.blog75.fc2.com/
livedoor    http://blog.livedoor.jp/push_gci/
一部コピーブログ
ameba      https://ameblo.jp/papa-quebeck/
goo          http://blog.goo.ne.jp/push-gci
jugem       http://papa-quebeck.jugem.jp/
cocolog     http://papa-quebeck.cocolog-nifty.com/blog/
hatena      https://papaquebeck.hatenablog.com/